
気分は最悪。気分が悪いのは感情のせいなのかは分からないけれど、胃のあたりがぐるぐると猛獣のように唸っている。
仰向けになってベッドを背に、天井を前にしている私は、ぼんやりと視線を彷徨わせる。すでに何度も視線で貫くように見つめた天井は見飽きてしまい、何処かくたびれた色をしているように見えた。私に見つめられすぎて辟易しているのかもしれない。
しかも今日は手錠をはめられてベッドに縫い付けられている。ヒソカの気まぐれで優しくされたり激しくしたりと、私はついて行くのに精いっぱいだ。
昨夜、いや、もう今日だったと思う。その時にはネクタイで目隠しされて、ヒソカのくぐもった声が耳元でぞくぞくするくらいに聞かされた。暗いのに更に暗くして、一人ぼっちになったみたいで思わず泣いてしまったけれど、ヒソカはそれすらも快感に変換してしまう。
トイレに行きたいなあと足を擦り合わせていると、シャワーを浴びたヒソカが頭をタオルで拭きながら素っ裸で出てきた。タオルくらい、腰に巻いておいてくれてもいいのに。
「トイレいきたいから、これ外して。」
「おやおや。折角いい眺め何だけどねえ。」
仕方が無い、と、ベッドに肩膝を乗せて、近くの机の上に無造作に置かれていた小さな鍵を片手に、私の頭上にかがみこんだ。
かちゃ、と、音がした。手錠の鎖が鳴る音と、手錠の口が開いた音だ。
口から吐き出すのか下から吐き出るのか分からないけれど、とにかくはけ口の傍に居たかった。口を押さえてトイレに駆け込むと、唸り声が咆哮にかわって、喉の奥からせり上がり、口から全部吐き出た。
涙をにじませながら嘔吐する私は、胃が空っぽになって行く感覚と並行して、まだ胃が小さく唸っているのを感じた。そんな様子をじっとミネラルウォーターを飲みながら、後ろから眺めていたヒソカが近づいて、私の背を撫でた。大きな手のひらで優しく撫でた。
「かわいそうに。」
「・・・こころがこもってない。」
「興奮しちゃうなあ。」
「こころが籠りすぎ。」
「吐いてる君もセクシーだ。」
何処が。と返事をしながら口元を拭って立ち上がる。同じように立ち上がったヒソカの胸を押して横を通り過ぎて洗面所に向かう。うがいをして顔も洗って、私もシャワーを浴びようと一枚だけのTシャツを脱いで籠にいれた。
またヒソカは開けっぱなしのドアからこちらを見ている。ミネラルウォーターをごくごくと飲んだ後、私に渡してきた。
それを少し躊躇した後受け取って飲んだ。冷たくて気持ちがいいと、全部飲んで空っぽのペットボトルをヒソカに渡した。そしてドアを閉めようと思ったら、ドアの側面を掴んでそれを阻止して来た。
ヒソカの力に叶うとは思っていないけれど、このまま力を込めて閉じようとしたら、もしもという事がある。ヒソカの指を挟んでしまうかもしれない。
「離してよ。」
「クックック」
「笑ってないで離してってば!指はさんじゃうよ!」
「かわいいねえ。」
朝から上機嫌で私を喜ばす言葉をぽろぽろと、歯が無い老人の口のように吐き出すヒソカに眉を潜めた。そしてあっけなく離された指を確認した後、音を立ててドアを閉めた。
浴室に入ってシャワーのコックを捻る。ヒソカが浴びていたから、すぐに暖かいお湯が出てきた。
身体に跳ねる水の温度が丁度良くて、顔を上にあげて薄らと眼を開けた。ほぅ、と息を吐いた。
ヒソカに連れ去られて、軟禁されてどれくらいの時間が経っただろうか。毎日毎日放蕩三昧の日々だけれど、外出禁止は辛い。そして何より、お父さんとお母さんに会えないのが一番つらい。
ヒソカの事は好きだけれど、両親に会わせてくれないのは酷いし、何より誘拐された私の身を案じて、泣いていたり、疲弊してしまっていたり、心身ともに傷付いている親の事が気がかりで仕方が無い。
せめて私はこうして、生きているのだと言う事を教えたいものだけれど、ヒソカはそれを許さない。「君の一番は何だい?」という質問で、全てを白紙に戻す。
最初は旅行だと思って楽しくベッドで飛び跳ねていたものだけれど、すぐにベッドに縫い付けられて身体の中に熱くて固いものを入れられた。痛くて泣きわめいていると、更にヒソカが楽しそうに腰を振って来る。多分あの時から、私の中のヒソカがほつれだしたんだ。
身体をタオルで拭き取りながら、ドアの向こうでヒソカが何をしているのか、そっと顔を覗かせた。外に出たのかな。着替え持ってきたないから裸で出るのちょっと恥ずかしかったから丁度いい。
それでもそっとドアを開けてベッドの方へ忍び足で向かう。
昨日脱がされた服と下着の向こうにある鞄の中に、私の着替えがある。ごそごそと漁ってそれを履けば後ろからがばりと太い腕が私の視界に入ってひっぱられた。
「っ!」
「だーれだ。」
「な・・・もう、びっくりするでしょ・・・!心臓止まっちゃうかと思った。」
「それは困るなあ。」
後ろから抱きついてきたヒソカの頬ずりを受けながら、伏せた瞳の雰囲気で、今日は外出することが分かった。
人を傷つける前の独特のヒソカの空気は肺が軋む。
「ねえ、ヒソカぁ」
「だーめ。」
「まだ何も言って無いのに。」
「外に行きたいって言いたいんだろう?そんな甘えた声だして・・・」
まんざらでもなさそうなヒソカが唇を頬に押し付けてぺろりと舌で舐めた。
「遊び盛りなのに。」
「僕と遊べばいいだろう?」
「ヒソカだけじゃ面白くないよ。」
「言ってくれるねえ。」
「だって、ヒソカも私じゃ退屈だから、外に出るんでしょ?」
「そうだね。」
「なっ・・・!」
いけしゃあしゃあと酷い事を平気で言うヒソカの腕を叩いた。暴力だ。と言うけれど、言葉と権力の暴力をふるってきているそっちの方が悪いんだから。
「私も一緒に行く。」
「駄目だよ。」
「どうして。」
「警察のやっかいにはなりたくないだろう?」
「それはヒソカでしょ。」
「僕と離れたいのかい?」
「適度な距離が無いと、だめなんだよ。」
「、君の一番は何?僕じゃない何かかい?」
魔法の言葉で会話は打ち止め。ヒソカの馬鹿。
悔し涙を流そうとする私にキスして、ピエロの恰好をして出て行った。馬鹿。ヒソカの馬鹿。
どうせ血まみれで帰って来るんだ。帰り血だけれど、私はそれが気持ちが悪くて仕方が無い。そして今思い出したけど、私は夢を見ていたんだ、ヒソカが、あのピエロのヒソカが人を殺して、帰り血を浴びながら楽しげに笑う夢を。
多分、その夢はあたっているんだと思う。どうしようもなく、ヒソカの残忍性は日常生活でも滲み出るから。
いつも持っているトランプが血まみれになっている事から、殺した相手の傷口にそれを差しこんだりしているんだろうと想像する。ヒソカは、そういうわけのわからないフェチを持っているような人間だから・・・。
そんな危ない男の人に拉致監禁されて、両親へ連絡も取れずに、日々あっちこっちへベッドの上で方向転換し、身体をぶつけあう生活を送っていたら、頭がおかしくなってしまう。
高いホテルは値段と地上の距離をあらわすように、窓の外の景色はジオラマを見ているかのように小さく広かった。
ヒソカが出て行って暫く立った。もう嫌だ、冷蔵庫の中にあるケーキもご飯もいらない。このまま堂々とドアを開けて出て行ってやろう。
靴を履いて鞄を持つ。そして今まで回さなかったドアノブを回して外に出た。あっけなく、廊下の静かな空気が私の身体を包んだ。静かにドアをしめて、キョロキョロと辺りを見渡す。
誰もいない無人だ。歩いてエレベーターの前についてボタンを押す。高いから暫くしないと此処まで来てくれない。どのエレベーターが先につくかなと予測して待っていると、やっとついたみたいだ。
チン、と音がしてゆっくり開いた扉の向うには鏡が置いてあって、鞄を持った私の姿が見えた。そしてハッと気がついた。
あの部屋の中で鏡を見ることはあっても、こうして外へ繋がる所で鏡を見たのは久しぶりだから、首に嫌と言うほどついたキスマークが、まるで病気のように見える事に驚いてしまった。
手で隠しても無駄だし、今は夏で外は暑いから、マフラーをするのもおかしいし。
立ちつくしているとエレベーターの扉は閉まってしまって、私はそのまま立ちつくしたまま、とぼとぼと部屋に戻った。
そしてまた気がついた。鍵を持っていなかったのだ。オートロックで、一度扉が閉まるともう開かないのだ。じわっ、と涙が眼に浮かんだ。ヒソカ早く帰って来て。
部屋のドアの前で膝を抱えて待っていた。床はふかふかの毛でおおわれていたから座り心地も良かったから何とかしのげた。
途中エレベーターが開いて男の人が下りてきた。私を見てびっくりしていたけれど、綺麗な高そうなスーツを着ておしゃれに口ひげを生やしているような人だ。ちらちらとこちらを見ながら通り過ぎた。私は恥ずかしくて眼を伏せてしまうと、その人は私が泣いているように見えたのか、ぴかぴかに磨かれた靴が眼の前で止まった。
「そこで何をしているんだ?お嬢さん。」
「その・・・鍵を、持ってでるのを忘れてしまって・・・」
「そうか・・・鍵を取って来てあげようか?」
「・・・いえ、大丈夫です。きっと、もうすぐ帰って来ると思いますから・・・」
優しい人だなと思って見上げていると、手が伸びてきた。吃驚して肩が震えてしまったけれど、ただ頭を撫でただけだった。
子供扱いされてしまった。でも、首のキスマークとか、こんなホテルの中で中々高そうな階の前に座る中学生女子と言う光景は、きっと酷く不思議に見えただろう。事件性を嗅ぎつけてもおかしくないけれど、私の殊勝な様子を見て、それはないと判断したのだろう。きっと・・・そうじゃないと困る。
ヒソカはいつ帰って来るのだろうか。帰って来た時、外でこうして座っている私を見て怒るだろうか。だったらいっそのこと、もう出てしまった方がいいんじゃないのだろうか。きっとこんな機会はもう無い。ヒソカもこれを気に学習能力が無いわけじゃないから、鍵をかけたり、私が外に出る手段を叩き潰すだろう。
こんな無防備にしていたヒソカが悪い。と、思ったのだけれど、ヒソカは私が出て行かないと信じていたのかもしれない。
ヒソカは私の事が好きだから。
好きと言うのは信頼だと、ドラマで言っていた。そのドラマの中で発言した男も、実際は浮気をしていたわけだけれど・・・ヒソカは浮気をしている?いや、だって、毎日帰って来てるし・・・。
もし裏切られているのだとするならば、私だけが誠実さを押しとおす必要性は無い。たとえキスマークだらけでも、病気だと間違われても関係ない。
ヒソカに封じ込められた生活からの脱出は、私の手によってなされるべきで、ヒソカが頃合いを見て決める事じゃ、ない。人権だ、人権問題だこれは。
授業で習った言葉を思い出して、頬を膨らませて大きく頷いた。もう一度立ち上がってエレベーターの前に行けば、どんどんとこちらに向かって上昇してくる。これが一番に来る。
決意を込めて眉間に皺を寄せてドアが開くのを待った。チン、開いた。ヒソカが居た。
しばらく見つめ合った後、ヒソカが真顔でエレベーターから降りて私の前に立ちふさがった。服には血がついていて、その赤黒い染みが眼の前にあった。ああ、もうやだ。
「ヒソカのばか。」
眼の前が真っ暗になった。
奇術師、中学生女子を監禁!
なんて、新聞に載らないかなあ。載ったら迷惑をこうむるのは私だけだろうなあ。ヒソカはきっと、それすらも楽しげに笑って隅から隅まで読みこむ様な人だから。
瞼を開けると、ヒソカがピエロのままベッドの上に乗っていた。服も血がついたままで、私の身体を弄っている。スカートの裾がヒソカの腕に引っかかって、肘から下はスカートに飲みこまれたように蠢いている。
「・・・ヒソ、」
「、外に出ちゃ駄目だって言っただろう。」
「・・・外の空気が吸いたかったんだもん。」
「だったら窓を開ければいい。」
「ここの窓あけられないもん。」
「開けられるさ。開けられなければ壊せばいい。」
「な・・・」
講義しようと口を開くと、ヒソカの瞳が暗く沈んでいる事に気がついて、思わず言葉が喉で消え失せて、ゆっくりと閉じた。
「、どうして出て行こうとしたんだ。そんなに僕と居るのが嫌なのかい?」
本当に困ったように、そして悲しそうに言うものだから、私の罪悪感が痛い程に擽られた。ヒソカ、そんな眼をするんだ。
私の両手にはまた手錠がつけられていて、ベッドの柱に繋がれていた。両手を上に、ヒソカの手によって降参のポーズを取らされているという事は、まず置いておいて。私は少し意外だった。ヒソカが、私の大人の男の彼氏のヒソカが、こんな、
「逃げようとしないでおくれ。。」
「・・・わ、・・・かった・・・よ・・」
それだけを絞り出して、ヒソカを見上げる。ヒソカ、本当にどうしようもない人だよ。世間から見たら誘拐犯で、ロリコンで、強姦罪もきっと入るよ。警察のご厄介になる事になれば、きっと手厳しいお出迎えが待っている。
私はそんなヒソカが見たい訳じゃない。そんな扱いをしてほしいわけじゃない。ただ、外で歩きたかったの。外の景色を、いつも通り、ヒソカが今何処で何をしているのかなって、ランドセルを背負って通学路の途中、空を見上げるような、そんな気楽で自由な恋がしたかっただけ。
密閉されて圧迫されて支配されているような愛は、重くて気持ちが良くて気分はいいけど、きっとすぐに息苦しくなって窒息してしまう。酸素が欲しいと暴れる私は、離さないヒソカに怒りを持って腕を振り下ろすかもしれない。それでも離さないヒソカに憎しみを抱いて、愛情も恋情もすべて泡沫のように呆気なく消え失せて、ヒステリックにヒソカの身体を傷つけるような事になるかもしれない。
私が一番怖いのはそれなの。そんな事言ったら、ヒソカは笑うかもしれないけど。私は、それが一番嫌だ。
ヒソカの眼球に薄い涙の膜が張る。私はそれを見て口を開けた。病院の先生に向けるようにぱっくりと。受け皿として働かせるために。
でもヒソカは顔を寄せて舌を入れてきた。私の嫌いな、口の中で舌が蠢く感触。
その間眼を開けてヒソカを見つめた。ヒソカも瞳を開けたまま、こちらを見たまま触って来た。けれど、その涙の膜は滴にはならないみたい。一気に火が灯って蒸発してしまったみたいで、熱っぽく私を呼んで服を剥こうとする。
逃げようとしないのは、多分、ヒソカが私の身体を見る時間より、私の眼を見る時間が長いからだと思う。
「眼を閉じないで、こっちを見続けるんだ。。」
「うん、分かった。・・・分かったよ、ヒソカ。」
不誠実だけれど、その真っすぐな視線に、私は何でも投げ出して許してしまうくらいヒソカの事が大好きなのだと、たったそれだけで甘受する事に慣れてしまう私は、幸せ者だ。
やっぱり監禁とか誘拐とかした方がヒソカっぽい。
bgm ALI PROJECT/北京LOVERS
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